Supporting Role

I want to be teacher like a supporting actor for my students

Winning or losing is not really important.(勝ち負けは大して重要ではない)

大学入試の後期試験の結果も出ました。ようやく,ひとしきり受験というものが終わったと思います。

 

必死に頑張った子たち。結果が出た子,逆に,結果が出なかった子もいました。

 

いろいろな結果報告を聞いて,昔話を思い出しました。

これは,私が高校3年生の今の時期の話。

 

「お前が落ちたのか?」

 

と,浪人が決まった私に対して,たくさんの人が言ってきたことです。被害妄想かもしれませんが,それから私に対する粗探しにも似た話が各所で繰り広げられました。勝手にすればいいのに,彼らの声が私に聞こえてきます。

そのとき,正直,卑屈になっていました。人にはわからない想いや苦悩を誰しもが持っているのだ。それを勝手に理由をつけるのはやめていただきたいと思ったのを今でも覚えています。

 

真剣にやるべきことを真剣にやった結果なのかもしれない。(つまり紙一重で落ちたのかもしれない)。また,落ちるべくして落ちたのかもしれない(勉強が足りなかったというより,方向性が誤っていた。私は,少なくとも後期試験まったく行く気がなかったところを受験したのだ。行くつもりもなく,合格することすら受け入れるつもりがない人に合格はなかったのかもしれないと思っている)

 

それを勝手に結果だけで,そういうのはやめていただきたいと思う。もっというと,それをもとに高校3年間を否定いただきたくない。今でも,そう思う。

 

それを踏まえて,今,結果が振るわなかった人に言えるのは,真剣にもう一度自分と向き合う,それだけでいいと思います。

そのうえで,人からアドバイスをもらうってのはいいと思います。でも,そのとき,自分には耳の痛い話だとしても受け入れるしかない。そうでなければ,聞いてはいけない。私はそういうものだと思います。

 

これからの大きな一年です。365日は短いようで,長いです。私は,今でも,浪人生活はめちゃめちゃ無駄な時間だったと思います。

 

でも,矛盾しますが,高校生活をそれで否定するものではないと今でも思っています。他の高校生は知りませんが,私は,私の人生に誇りをもっています。そのときは,そのときで全力で突っ走ったと思っています。(もちろん,たくさん失敗をしました)

 

二度,その時期を過ごしたくないほど,ストイックな部分もありました。苦悩した時期もありました。

 

だからこそ,結局は,目の前にある現実を受け入れ,また走り出さないといけないのだと言いたいです。

 

合格した人も同じです。合格したことはとっても素晴らしい。あなたの頑張りです。

でも,もう次のスタートは切られているのです。勝って兜の緒を締めよ,であります。

また,走り出しましょう。

 

最後に,

 

苦悩したこと,辛かったこと,泣いたこと,悲しんだこと,

 

それすらも,笑って話せるような時が来ます。そのために前を向いてくださいね。

 

誰が見てくれているかわかりませんが,書いておきます。